今は五番手だが

丸紅は1960年代から1970年代前半には三菱商事・三井物産と並んでスリーエムと称される総合商社トップ3の一角であったが、その後伊藤忠が安宅産業を合併して力を付けたことや、住友商事の台頭、さらにはロッキード事件の影響などもあって、現在では総合商社中、第5位に甘んじている。
1858年、初代伊藤忠兵衛が麻布の「持下り」行商を開始したことをもって創業としている。
そのため、同業の伊藤忠商事株式会社とは同根。
その後、いったん伊藤忠と分割されたものの、戦時中に再度合併、戦後の財閥解体措置により再度両社は分割され、1949年に現在と直接つながる丸紅株式会社が設立された。
社名は、創業者の伊藤忠兵衛が、「紅は高貴な色である」として実家の屋号「紅長」から1文字をとった「紅忠」という商号を使用して、○の中に紅という文字を入れた印を暖簾や半纏に使ったことに由来する。

チキンラーメン

安くて調理が簡単、チキンラーメン。
日清食品創業者の安藤百福が終戦直後の大阪・梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、「もっと手軽にラーメンを」と開発した。
チキンラーメンの開発は、安藤が大阪府池田市の自宅の敷地内に作業小屋を建て、試行錯誤の末に生まれた。
ある日、夫人が作っていた天ぷらの調理法を見て受けた印象や食感をヒントに、「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法を思いつき採用した。
池田市にある「インスタントラーメン発明記念館」には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復元・展示されている。

由来

薬園台の名前の由来。
8代将軍吉宗の時代、この地に幕府直轄の薬草園が開かれたことから名付けられた。
薬草園では、朝鮮人参、黄連おうれんなどが栽培されていたものと想定されている、詳しいことは殆ど分かっていない。
昭和48年に住居表示が実施され「薬園台」から「薬円台」に変わるが、駅名や学校名に未だ旧名が残っている。

今は違う

昭和の頃、故障した家電は叩けば直ると言われていた。
実際に直ったケースも多かった様に思う。
故障の原因が埃などの場合、取れて接触不良が直る事もあったのだろう。
しかし今は、家電と言えばコンパクトが売りなので内蔵されている部品もよりデリケートになっている。
それによって、叩くと余計壊れる、という可能性が高い様だ。
どうしようも無くなった時の最期の手段として、叩いて直す、という教えも今は違うのか。
少しさびしい気にもなる。

80年代のヒット

80年代にヒットした食品及び飲料。
今も人気を持続している物も多い。
ポカリスエット。
大塚製薬が1980年から発売している清涼飲料水である。
コンセプトは「飲む点滴」で、ヒトの体液に含まれる7種類のイオンを含有する。
コーラグミ。
明治が日本で初めて発売したグミである。発売当時は「グミ」というカテゴリーがなかったため、「ゼリーキャンディ」として販売されていた。
雪見だいふくもある。
多くの物が世に出た80年代だった。

かちかち山

かちかち山にはどういう教訓があるだろう。
ウサギは知恵者、人間の味方として描かれ、タヌキは他の昔話や民話でもそうであるように、人間をだます者、人間を化かす者として描かれる。
平安時代からすでにみられる、キツネ・タヌキ・ムジナを人間や地蔵や物に化けて人間を困らせるものとして描く類型のひとつ。
この物語は三部構成、あるいは三つの話の複合形態をとっているとみることができる。
第一話:人間に悪戯をする動物が捕らえられる話
第二話:人間に捕えられた動物が知恵で人間をやりこめる話
第三話:人間は出てこず、動物同士の争いの話

迷信ではない

遠くの音がよく聞こえると雨が降る。
これは、気温が下がれば相対湿度も高くなり、音は聞こえやすくなる。
また、音の速さは気温によって異なり、空気中の温度が一様でないと音波は屈折する。
地上付近の気温が高く上空の気温が低いと、音は上へ曲がり、遠くの音はあまり聞こえない。
逆に地上付近の気温が低ければ、音は下へ曲がり、遠くの音でもよく聞こえる。
という事なのだそうだ。
つまり、これは迷信ではなく物理的にも正しい説なのだ。

布引五本松ダム

阪神淡路大震災で一時漏水が増加したが、何と大きな損傷などが無かったのだそうだ。
高い技術力と丁寧な施工の賜物として語られるダムだ。
完成されたのは1900年の様だ。
2006年7月5日、「布引水源地水道施設」の名称で国の重要文化財に指定された。
重要文化財に指定されたのはダム単体ではなく、関連する堰堤、橋梁、土地などを含めた水道施設全体が「近代化遺産」として評価され指定されたものである。
指定範囲には以下のものを含む。

牛若丸

源 義経は、平安時代末期の武将。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。
仮名は九郎、実名は義經である。
河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。

立ち上げ当初は

正道会館の初期の頃。
1982年には第1回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。
また第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会ではリングを使用、さらに再延長時にはグローブをはめての顔面攻撃有りのルールを導入する。
近年は毎年9月に大阪にて開催。体重別のウェイト制大会を開催。
3年に1回は無差別大会開催。
現在の正道空手ルールは、いわゆる極真ルールに片手による瞬間的な掴み・引っ掛けを加えたものであり、相手を掴んでの攻撃バリエーションが発達している。